平安時代から江戸時代まで、この補陀洛山寺の住職が六十歳になると生きながら小舟に乗り、補陀洛山を目指して船出する「補陀洛渡海」が行なわれていました。 己の身を捨てて民衆を救済しようとした「捨身行」のひとつです。この渡海上人につながり、人々は現世利益・来世の安穏を祈りました。