補陀洛渡海 |
熊野の海の彼方に、観音浄土である補陀洛山があると信じられ、
その補陀洛山に渡ることを補陀洛渡海といいます。
図の上左側の建物が補陀洛山寺で、住職が60歳になると補陀洛渡海をする風習
がありました。この図はその補陀洛渡海の様子を描いたものです。
大鳥居では、信者や僧達が別れを惜しんで合掌し、渡海船を見送っています。
海に浮かぶ帆掛船が渡海船で、四方に鳥居と垣を配した屋形の中に、
30日分の食料と灯火用の油を積み、11月頃の西風を待ち出発するのです。
外から釘打ちされ窓もない船中で一心にお経を唱えていると、
見送る信者達の願いと共に生きたまま仏の世界に往く事が出来ると
信じられていました。868年慶竜上人から1722年宥照上人までの850年間に
21名の渡海上人が、補陀洛山を目指したといいます。
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