新宮十郎行家 |
後白河上皇の第二皇子以仁親王(もちひとしんのう=高倉の宮)は、 源頼政の勧めにより、平氏追討の令旨を全国の源氏に発します。そ の令旨の御使いとして熊野新宮に住む十郎義盛(よしもり)が都に呼 ばれ、名を「行家」と改めたあと東国に出発。源頼朝[源氏の棟梁 であり「行家」の甥に当たる]に令旨を届けます。この新宮十郎行 家の行動を知った熊野別当の湛増は、これを清盛に知らせて、自分 は兵一千を率いて、那智・新宮は源氏の味方であるから打つべきと、 新宮の湊へ出陣します。しかし、これを迎え打つ新宮・那智方は二 千の兵を集めたのです。この戦いは、湛増自身傷を負うほどの負け 戦となりかろうじて本宮に逃げ延びたのです。しかし、この以仁親 王の企ては、清盛の知るところとなり、以仁親王をはじめ源頼政以 下味方した都の侍は殺されたのです。しかしながら、新宮十郎行家 がまいた平家追討の種は、木曾の義仲・源頼朝等の蜂起をうながし たのです 。 |