喜界ケ島流罪 |
鹿の谷の謀議により、捕らわれ流罪になった中で、藤原成経・平
康 頼・俊寛僧都の三人は、薩摩[鹿児島]の南方海上にうかぶ喜界
ケ 島(きかいがしま)に流罪になりました。三人の中で成経・康頼
の 二人は、もともと熊野権現を信仰していたため、この島に熊野
三所権現を勧請(かんじょう)して、都に帰れるよう祈りましたが
一人俊寛だけは祈ろうとはしませんでした。成経・康頼の二人は
島の中を歩き回って、熊野に似た地形をさがし、滝を見つけると那
智大社、またあの峰は本宮、この峰は新宮、などといいながら、九
十九王子までを決め、康頼を先達に、毎日熊野詣での真似をして、
都に帰れることを願ったのです。
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