文覚上人の修行
文覚上人は、もとは遠藤盛遠(えんどう もりとう)と言い、上西門 院の侍でありました。ある時、発心を起こした遠藤盛遠は出家し文 覚と名前を改めます。文覚は熊野に参り、那智の権現に参篭したの です。そして、「行(ぎょう)」の手始めに、けわしくて有名な那智 の滝にうたれようと、那智の滝に下りていきますが、季節は十二月 の半ば、一番寒い時でした。滝壷に入り首までつかり、不動明王の 呪文を唱えながら、一心に行に勤めますが、あまりの寒さに息絶え ます。すると不動明王の御使矜羯羅(こんがら)・制たか(せいたか) の二童子が現れて、滝壷をけがしてはならないと、文覚を引き上げ て蘇生させます。生き返った文覚は、不動明王の守護により、無事 に二十一日の修行をおえる事が出来たのです。そして文覚は、那智 千日篭もりに始まり、大峰・葛城・富士等すべての行場をまわり、 修行したのです。