俊寛僧都が、喜界の島にて他界した年[治承3年=1179年] の5月12
日の午頃(ひるころ)、都を辻風[突風]が襲い、多く の人が死に、
牛馬等は全滅の有り様で、まるで地獄で吹く業風(ご つふう=人間
の悪業によっておこる猛風)のようにひどいものでし た。
陰陽頭(おんようのかみ=占い等で天皇に仕える役職))が占 いによ
ると「いまより百日内に、大臣についての謹慎事(つつ しみごと)
があり、更に天下に一大事が起こる。そして天皇・上皇 のお力も
衰微して、兵乱が打ち続く。」とのこと。このことを聞いた平重盛
(たいらのしげもり=清盛の長男=内大臣左大将)は、平家の行く末を
案じているときであり、病気でしたので万事不安に思い、熊野に詣
で、本宮証誠殿(ほんぐうしょうじょうでん= 熊野本宮大社)の前で、
一晩中祈りました。
「自分の諌めを聞かない父清盛、この為、後白河上皇を不愉快に
し、平家一門の繁栄のみならず、父清盛の栄華でさえも怪しくなっ
て来ています。自分の命を縮めても、来世安穏を約束して下さる熊
野の権現様のお力を戴きたいのです」と。そして都へ帰って程なく
平重盛は、病没し、平家一門の没落も始まりました。 |