鹿の谷
熊野権現のご利益で、平清盛の異例の出世とともに、平家一門の 栄耀栄華が始まったのですが、平家一門だけの繁栄は、他氏のねた みを受けることになり、「この一門にあらざらん者は人にあらず」 の言葉や、天皇・上皇に礼を失したした振る舞いに、上皇方の不満 も大きく、京の鹿の谷(ししのたに=ししがたに)にある、俊寛僧都 の山荘に、後白河上皇を始め、藤原成経、源成雅、俊寛僧都、平康 頼等多くの人々が集まり、平家打倒のはかりごとを、酒を酌みなが ら相談したのです。 瓶子(へいじ=銚子)の倒れるのを見て、平氏が倒れたと喜び、瓶子 を振り回し、首を折っては、平氏の首を取ったと騒いだことが、密 告により露見し、上皇を除き皆罪に問われたのです。