卒塔婆流し
ある日、藤原成経・平康頼二人が、いつものように熊野詣でをし、 途中浜に出たとき、沖より流れてきた木の葉があり、見れば、熊野 権現のご神木である梛の木の葉でありました。虫の食った梛の葉を 拾い上げてよく見れば、虫食いの跡が、「ちはやぶる 神に祈りの しげければ などか都へ かへさざるべき(お前たちの、神への祈り が熱心であるから、必ず都へ帰してつかわそう)。」の和歌に読め、 おおいに元気づけられたのです。そして二人は、千本の卒塔婆に和 歌二首を、それぞれの名前ととも書き付け、祈りをこめて海に流し たのです。この千本の卒塔婆の一本が、安芸の宮島、厳島神社の浜 辺に流れ着き、それを康頼の知人の修行僧が拾い、康頼の妻のもと に届けたのです。このことが都中に広まり、流人(るにん)の歌とし て、人々に口ずさまれました。そして清盛の知るところとなり、清 盛の怒りも、少しやわらいだのです。