文覚と頼朝の会談
修行を終えた文覚は、京の都に帰り、「飛ぶ鳥も祈り落とす、や いばの修験者」との評判を得、高雄の山中に庵をかまえ住んでいま した。そして、荒れ果てた高雄の神護寺(じんごじ=和気清麻呂の建 立)を修復しようと、勧進帳(かんじんちょう=寄進者の名前を記す もの)を持ち施主を訪ね歩いたのです。ある時後白河院の御所を訪 ね、寄進を願おうとしましたが、御所の警備の侍ともめ事をおこし、 役人にとらえられたのですが、鳥羽上皇の后、美福門院死去の大赦 があり放免されました。しかしこれで大人しくなる文覚ではなく。 「今に、この世の中は乱れて、皆滅びるであろう」と言いながら勧 進をして廻ったので、再び捕らえられてしまい、伊豆に流されます。 伊豆には、源頼朝が流されており、文覚は、頼朝のもとに通い平家 を倒すようしきりに勧めますが、頼朝は大義名分がないと、ことわ ります。それで文覚は、後白河法皇の平家追討の院宣を受けて、頼 朝に届け、決起をうながしたのです。そしてついに頼朝は決心し、 平家追討に立ち上がりました。