捕鯨図
 熊野地方の各地で捕鯨が盛んとなった結果、突き捕り捕鯨 法での捕獲対象としていたセミ鯨等が少なくなっていて、各鯨組も 収益を上げることが困難となっておりましたが、延宝5年(167 7年)、太地角右衛門頼治がクモの巣にかかったセミの様子にヒン トを得て、当時、捕獲が不可能とされた座頭鯨が多く回遊している ことに目をつけ、網掛け突き取り捕鯨法を開発したのでした。これ により、「太地角右衛門大金持ちよ、背戸で餅つく、表で碁打つ、 沖のど中で鯨打つ」と言われるくらい富を築いたのでした。