鯨方漂流人記念碑  
明治11年(1878年)12月24日の鯨船漂流事故で 遭難した漂流人供養の碑。「お脊美子持ちを突き置いて、脊美の子 持ちを突き置いて、春は参ろぞ伊勢様へ」と太地鯨唄に歌われてき たように、母鯨は母性愛が強くて、子連れ鯨の場合には、子鯨から 捕れば、母鯨は逃げずに子鯨をかばうため、母鯨も容易に捕獲でき ました。事故前夜、太地鯨方頭領の太地角右衛門は、「明日、堺の 住吉神社に参りに行くが、往きは見逃して下さい」と脊美鯨の夢を 見たのですが、気にせずにおりました。しかし翌日その夢が現実と なり、百数十名の命が絶たれて、明治13年(1880年)には終 焉しました。それで、この事故は「脊美の子持ちは夢にも見るな」 という格言で残っております。