応照上人
  女人高野と呼ばれる那智の妙法山阿弥陀寺に、古い時代の修行僧として「日本霊異記」に応照上人の事が出ています。那智山中に深く分け入り、人と接することを避け、お経を唱えひたすら修行に勤めていました。そして、その修行の為に、自らの身を焼き、火定入滅したのです。この火定跡が、妙法山阿弥陀寺の奥ににあります。
火定地とは、生きながらに身を焼き、弥陀の浄土へ往生することをいいます。応照上人はこの熊野に参り、那智山の上妙法山阿弥陀寺で日々法華経を唱え、修行に励んでいましたが、その求道と世の衆生を救う為に、穀類、塩等の一切の食物を断ち、松葉を食し、新しい紙法福を着、西方浄土を向いて諸仏に祈りながら、焼身して往生したと伝えられます。