青岸渡寺


 

西国観音霊場三十三カ所巡り第一番札所の青岸渡寺は、仁徳天皇の時代にインドから来た修行僧「裸形上人」が那智の滝より観音像を感得して木造の観音像をつくり、お堂を建立してまつったのが始まりといわれています。以来多くの修行僧が訪れ、修行に励みました。また歴代の上皇も数多く御幸し、なかでも花山上皇は那智山で三年間千日の修行の後、すたれていた三十三所観音霊場巡りを行い、同霊場巡りの中興の祖といわれています。

明治時代以前は、熊野那智権現の観音堂(神宮寺)として栄えていましたが、神仏判然令により、一時廃堂となりました。しかし地元の熱意により天台宗の寺、青岸渡寺として再興され、今なお西国一番の札所として、西国巡礼の人々のならす鈴の音の絶えることがありません。