声聞(しょうもん)
「自分はなにものなのだ」「死とはどういうことだ」苦し み悩み抜いた末に、人生観が根底から変わる体験に遭遇することが あります。おそらく比丘尼たちはその体験の場として熊野をひろめ たのでしょう。そういう体験を経て、自分へのこだわりを捨てられ たとき、人は輪廻の輪から抜けることができます。 自我を捨て、 真理の声を聞こうとする状態という意味で「声聞」といいます。