山見跡と灯台  
古式捕鯨が行なわれていた当時の山見跡。ここから常に沖合いに目をこらし、太地沖にある鯨の道を通る鯨を発見するための場所でした。古式捕鯨では、それぞれの役割りがはっきりと分かれ、 非常にシステマティックに組織が構成されていました。寛永十三年(1636年)10月3日。日本ではじめて鯨油を燃やす「行燈式燈明台」が建てられ、灯がともされた場所です。現在でも礎石が残っており、灯台自体は当時の資料を元に復元したものです。この灯台では海上にある船への伝達手段として、のろしを上げたり、様々なサインを示す旗を立てる「はいだて」も行なわれていました。鯨は、肉は食用、骨は道具や工芸品にされただけでなく、脂は灯火用としてここでも使われ、余すところ無く人々の生活の中に生かされていたのです。