写真は一遍上人の名号碑といわれる石碑で、「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれています。熊野地方には、このような名号碑が各地に残されています。
この熊野詣の先達を勤めた三山検校の支配下に熊野修験の 人々があり、那智の瀧を最終道場として多くの修験者が篭もって修 行に励んでいましたが、明治の淫祠の廃止・神仏判然令により廃仏 毀釈の運動が起こり、神社一辺となりました。この時多くの伝統行 事が失われましたが、その精神は根強く残り、今に至っています。