「むかし熊野の鬼たちはここに集まり棲んだ。彼らは風に髪を飛ばし渦を啖い、
夜はよもすがら/岩を揺すぶる怒涛の中に眠った。月明の夜より/雷鳴の夜を好
んだ。二ほんの角は稲妻の中で生き生きとした。」
長い年月を経て、地震と浸食の作用によって創りだされた、東西 1.2キロも続く大岸壁です。昔この地には多我丸という海賊が棲 み、桓武天皇の命により坂上田村麻呂が征伐したという伝説が残さ れています。
大峯山から始まる熊野の山々は、1000年以上も前から修験者たちの修行の舞台であり、その歴史は今も連綿と受け継がれています。踏破する山容の厳しさに加え、そこここに屹立する巨岩や奇岩の姿が、聖域としての神秘性をいっそう深いものにしているからでしょう。写真は、そんな奇岩のひとつである下北山村の「石や塔」です。
継子投げという恐ろしげな名前のついた岬。熊野特有の山が海まで張りだし、
絶壁となって海におちる地形で、たくさんの魚を寄せ、
その魚を追って大型の魚類が集まります。
ここから望む太平洋の景色はじつに雄大で、ここに立って見渡せ
ば、地球が丸いと言うことを実感してしまいます。
遠くから一見すると、山のように見えますが、高さ100m、幅
500mの一個の巨岩が目の前に座っているのです。国の天然記念
物に指定されています。
まさに天然のピラミッドとも言える地下よりぬきでた一個の巨岩
です。岩の中心付近には陰陽の滝をはらみ、四季折々に花が咲き乱
れています。地球の気の凝縮を感じるにはうってつけのスポットで
す。
狭い渓谷の一方にほぼ垂直に立ち上がる高さ488mの岩壁が「大丹倉」です。 古来より様々な伝説を持つ大丹倉は、この巨岩を通して偉大な「地の力」と一体になる喜びを求め、古来から多くの求道者の信仰
を集めてきたところでもあります。大丹倉の「丹」は赤の意味。大量に含まれる鉄分が酸化して真赤になった柱状節理の巨岩の狭間に数条の滝を有し、ひとたび降雨増水すれば飛沫空中に雲霧を生じ、幽玄さをいっそう深くします。また、頂上へ行き着くと前方に札立峠の奇岩を拝し、そこから下を覗くとまるで吸い込まれそうなほどの高さを感じます。
この楯ヶ崎は、神武天皇が丹敷戸畔(にしきのとべ)を打った所
として伝えられています。又近くには千丈敷(古名阿古の平)と呼
ばれる大岩盤があり、ここで伊勢の大神と熊野権現が酒盛をしたと
いい、岩に酒の流れた後があるとの伝説が残っています。
「神々の戦いたる所とて、楯をつらねたるような、巌どもあり」
増基法師「熊野の海金剛」ともいわれ県の天然記念物に指定されて
います。
熊野市から熊野川河口へ25kmにわたって続く七里御浜の北端、もっとも熊野市側に寄った海岸にそびえる奇岩がこの「獅子岩」です。高さ約25m。海食によってできたものですが、まるで巨大な獅子が太平洋に向かって咆吼しているように見えます。
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