徐福は中国・秦(BC259〜同210年)の始皇帝に仕えた法士で、始皇帝の命によって、不老不死の霊薬を求めて多くの家臣とともに熊野地方に渡来した、と伝わっています。薬草「天台烏薬」を発見しましたが秦に帰ることはなく、この地を安住の地と定めて農業・漁業・工芸などを教えたといわれています。
熊野の山中に数多く自生しているクスノキ科の植物で、この天台烏薬こそが、徐福の探し求めた不老長寿の霊薬であったといわれていました。残念ながら実際にそれほどの薬効はありませんが、根の部分が腎臓病やリウマチに効く漢方薬として利用されるほか、近年では肺ガンに対する効果も期待され、専門家による研究がすすめられています。
三重県熊野市の徐福の宮秦の始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を求めて
日本にやって来たと言われる徐福は、秦つまりハタ氏とも呼ばれました。
波田須(ハタス)という地名もここから来ていると言われております。
農耕、漁法、捕鯨、紙すきなど様々な中国の文化、技術を広めたと
言われております。当時は陸路よりむしろ海路の方が国内外に向かって
開かれていた熊野でした。
全国各地に徐福伝説がありますが、ここも徐福が亡くなったとこ
ろとして「徐福の墓」の碑が祭られています。
石器時代であった当時の日本に、道教のハイテク集団三千人が、 子供も含めて移住して来たとしたら、正にその土地にとって画期的 な文化の飛躍が起こったのでしょう。2000年以上たった今も各 地でなお深い信仰の対象として「徐福さん」と呼ばれ親しんでいま す。
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