古来より熊野人は海との共生の生活文化を保持し続けて来ました。海からの恵みに畏怖と感謝を持ち、足ることを知って子や孫の代へと、その恵みと共に生きて行くすべを伝え続けて参りました。山そして海や川。古の熊野人にとって、ここでの生活そのものが自然との共生の歴史です。
東明崎、かつて牟婁の御崎と呼ばれ、それが太地崎、燈明崎となり、現在の東明崎に変わってまいりました。考謙天皇の御代、牟婁の御崎と呼ばれていた頃に遣唐副使として唐に渡っていた吉備真備(きびのまきび)が、帰途暴風雨に会い漂着したところからから、この碑が建てられています。
熊野地方は、捕鯨発祥の地と言われ、熊野市内の二木島、
遊木、 磯崎、木本などの地には、鯨方と呼ばれる捕鯨集団があっ
たと伝え られています。「鯨船定」と呼ばれる捕鯨規約は、この
二木島に保 存されていました。
二木島供養塔
くじら博物館
共生メニューへ | メインメニューへ |