明治時代以前は、熊野那智権現の観音堂(神宮寺)として栄えていましたが、神仏判然令により、一時廃堂となりました。しかし地元の熱意により天台宗の寺、青岸渡寺として再興され、今なお西国一番の札所として、西国巡礼の人々のならす鈴の音の絶えることがありません。
平安時代から江戸時代まで、この補陀洛山寺の住職が六十歳になると生きながら小舟に乗り、補陀洛山を目指して船出する「補陀洛渡海」が行なわれていました。
己の身を捨てて民衆を救済しようとした「捨身行」のひとつです。この渡海上人につながり、人々は現世利益・来世の安穏を祈りました。
景徳寺・薬師堂は、北山村・河合地区の最も高いところにあり、周辺が一望できる、まさにこの集落のシンボルです。毎年1月8日、この寺の例大祭「弓祭り」が行われます。射手の若者が、未明に素裸で、寒さのため身も切れそうな北山川に飛び込み、潔斎したあと厳粛に大役に臨むのが恒例となっています。毎年のこの奇習において、今だ風邪をひいた者は一人もいないという何ともユーモラスなジンクスも生きています。
「日本最古の温泉」として名高い「湯峰の温泉」。その昔、熊野
の国造・大阿刀足尼(おおあどのすくね)が発見したといわれます。
湯峰薬師は、その温泉の守り本尊です。
三重県熊野市の光福寺熊野地方は、南朝ゆかりの地が多く、ここもその一つです。またこの御寺は、ジャジャックという独特な形態の盆踊りを今でも続けていることで知られています。ジャジャック、佛式には「江湖戒除の鐘」といわれ、釣鐘と大太鼓を並べて、内手は右手にシャマタという二股の打棒を持って打つと、鐘と太鼓が同時に鳴りだし、伴奏のように響きあいます。左手では、シュモクというものが、折々、鐘や太鼓にあたって、リズムが高まって行くと一種独特な雰囲気を醸し出します。
那智山の南西に位置する妙法山(標高750m)にある真言宗の寺。開
基は弘法大師で、古くから女人高野として親しまれていたほか、熊
野で亡くなった人の魂は必ずこの山に登るといういい伝えがあり、
今もこの寺へ遺髪や遺骨の一部を納める習慣があります。
杉の古木に囲まれる深閑とした境内には、本堂、大師堂、鐘楼、
荒神堂、同寺の中興といわれる応照上人の火定三昧跡などがあり、
境内から20分ほど山道を登る山頂には釈迦如来をまつる奥の院があ
ります。また、本堂直下の見晴らし台からは、那智湾や勝浦湾から
太地、串本へといたる海岸線が一望できます。
重畳山には、弘法大師空海の開基とされる神王寺と重畳山神社があり、当地方の霊山の一つとして古くより人々の崇敬を集めてまいりました。頂上からの遠望は有名で、那智連山越しに眺む太平洋と大島、串本は独特の景観を広げております。又、自動車道とは別に、昔日のままの登山道を、降り積もった落ち葉を踏み締めながら、麓から歩くことも格別な体験と言えます。
神王寺と重畳山神社に続く参道には、88体を数える石仏がまつ
られています。信仰の山として往時を偲ばせるものがあります。
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