明治時代以前は、熊野那智権現の観音堂(神宮寺)として栄えていましたが、神仏判然令により、一時廃堂となりました。しかし地元の熱意により天台宗の寺、青岸渡寺として再興され、今なお西国一番の札所として、西国巡礼の人々のならす鈴の音の絶えることがありません。
平安時代から江戸時代まで、この補陀洛山寺の住職が六十歳になると生きながら小舟に乗り、補陀洛山を目指して船出する「補陀洛渡海」が行なわれていました。
己の身を捨てて民衆を救済しようとした「捨身行」のひとつです。この渡海上人につながり、人々は現世利益・来世の安穏を祈りました。
「日本最古の温泉」として名高い「湯峰の温泉」。その昔、熊野 の国造・大阿刀足尼(おおあどのすくね)が発見したといわれます。 湯峰薬師は、その温泉の守り本尊です。
ジャジャック、佛式には「江湖戒除の鐘」といわれ、釣鐘と大太鼓を並べて、内手は右手にシャマタという二股の打棒を持って打つと、鐘と太鼓が同時に鳴りだし、伴奏のように響きあいます。左手では、シュモクというものが、折々、鐘や太鼓にあたって、リズムが高まって行くと一種独特な雰囲気を醸し出します。
神王寺と重畳山神社に続く参道には、88体を数える石仏がまつ
られています。信仰の山として往時を偲ばせるものがあります。
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