火祭


那智の火祭り

燃え盛る60キロの大松明12体が、那智大瀧の石段参道を円を描きながら、 登り降りして、12の扇神輿を浄めるのが「那智の火祭り」・「扇祭り」 と言われる熊野那智大社の例大祭であります。

那智の火祭り・扇祭りといい、古くは扇会式と言われ、 熊野那智大社の例大祭の中の多くの行事の中の一つです。 毎年七月十四日に行われ、午前中の、熊野那智大社[本社]での 神事・那智の田楽・大和舞等の奉納が行われたあと、午後、 熊野の十二の神々が移った十二基の扇御輿と十二体の大松明が、 那智の瀧[別宮=飛瀧神社]に向け出発します。 途中の伏拝での神事の後、那智の大瀧にて大松明に火をつけ 石段を円を描きながら登り降りします。そして扇御輿を浄めつつ、 扇神輿と共に広場に下ります。広場まで下りると、松明は消されますが、 火で浄められた扇御輿は、祭場に並べられ、さらにお瀧の飛沫で浄められます。 こうして1年に1度熊野の神々は、元宮である那智の滝に渡り、 力強くよみがえって本社に還るのです。

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二河の火祭り

那智勝浦町湯川二河・金剛院で、毎年8月23日に行われる「二河の火祭り」は、 500年余りの歴史を持つお盆の行事として、今尚連綿と続く火祭りです。 祭りの起源は、大きな勢力を持っていた色川村との山の諍いで犠牲になった 若者の霊を慰める為に始められたとつたえられています。 当日午後7時、白装束に鉢巻き姿の若者が、金剛院の庭に積まれた針金の付いた松明を 手に持ち、火を付けて目神八幡神社に駆け登ります。 そして社殿の所の鉄柱に張ったワイヤーめがけて投げ上げます。 ワイヤーに掛かった松明が山を赤く染め、投げ上げる松明は炎の弧を描き、 勇壮で美しい祭りです。
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柱松

杉の高い柱を広場の中央に立て、小さな松明を柱のてっぺんにある 篭めがけて投げ入れるという火祭り。 写真は紀和町「入鹿(いるか)の柱松」(8月)です。

柱松は疫病払いを起源にしたといわれている祭りで、 熊野地方では紀和町のほか太地町、新宮市佐野などでも行われており、 愛媛県にもまったく同じ形態の祭りがあります。季節はいずれも8月旧盆の前後。 誰でも参加できる祭りですので、「火の癒し」を実体験してみるのもいいでしょう。

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お燈まつり

毎年2月に行われる神倉神社の大祭。夏の那智扇祭りと並ぶ熊野の火祭りの双璧です。

お燈まつり1

新宮市内を一望する千穂ガ峰の中腹にある速玉大社の摂社・「神倉 神社」の大祭で、毎年二月六日の夜、松明を手にした二千人近くの 男たちが長く急な石段を一気に駆け下りるところから「山は火の滝、 下り竜」と新宮節にも歌われる勇壮な火祭りです。祭りの起源は奈 良時代にまでさかのぼり、火を神聖視する修験道とのかかわりが深 いとされています。歴史のある祭りでありながら、男性なら老若を 問わず誰でも参加できるという、いかにも熊野らしいおおらかさが あり、近年は京阪神や東京などからの参加者も増えています。
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お燈まつり2

お燈まつりに参加する男は「上り子(のぼりこ)」と呼ばれ、当日 は朝から精進潔斎の意味をこめて豆腐、白い蒲鉾、白飯など色のつ いていない白色の食べ物しか口にしません。また、古来装束を整え る前に太平洋に面した「王子ガ浜」に出て、塩垢離(しおごり)で 身を清める習慣もありました。現在は、一部の有志が伝統の復活を めざして「みそぎ」を行っています。
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お燈まつり3

上り子の装束は白一色、足元はわらじ、腹部には荒縄を巻き付けま す。荒縄には、急な石段での万一の転倒に備えて身体を保護すると いう意味もあります。これらの祭り装備は、二月に入ると市内あち こちの店頭に並びます。
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お燈まつり4

松明は桧で五角錐に作られ、長さは約1メートル。先端に「はな」 といわれるケズリバナがつけられています。松明に「商売繁盛」 「心願成就」などの願文を書き込み、祭りのあとはわずかに燃え残 った部分を、自宅の神棚などで向こう一年間まつります。写真左端 に見える小さな松明は、身内の不幸などで祭りに参加できない人が、 親しい上り子に託す代参用のものです。
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お燈まつり5

白襦袢、白装束、白股引を身につけ、腹に縄を巻き付けます。縄は 五重か七重の奇数巻きにし、「男結び」という独特の結び方できつ く締め上げます。なれない人や初めて上る人はベテランに教えても らったり、友人同しで結びあったりさまざま。他の場所からの参加 者を対象にした指導も行われます。
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お燈まつり6

この状態で頭に白頭巾か白鉢巻きをすれば、準備が整います。上り 子たちは、夕刻になると自宅を出発し、徒歩で速玉大社、阿須賀神 社、妙心寺に参拝(三社参り)、午後六時までには神倉神社の入り 口にある太鼓橋を渡ります。三社参りの途中、他の上り子とすれ違 うときは、見知らぬ人であっても互いに松明を軽くぶつけあって 「たのむで」と声を掛け合います。
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お燈まつり7

神倉神社山頂までの石段は「鎌倉積み」といわれる自然石の石積み。 五百三十八段のうち上り口から途中の「中の地蔵」までの二百段は、 上るときでさえ四つん這いになるほどの急な勾配になっています。 (この石段自体が和歌山県指定の文化財です)上り子たちはこの石 段をゆっくりとたどって、神社の境内へと向かいます。
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お燈まつり8

奥に見える鳥居から内側が神殿周辺の境内。神官によって採火され た火は一度中の地蔵まで下り、再びここへ運ばれて上り子たちの松 明にうつされます。二千本近い松明にいっせいに火がつくのですか ら、一気に山が燃え上がったように見え、上り子たちの喚声も市内 に響きます。もちろん境内は火の粉と煙に満たされ興奮の坩堝と化 します。このとき神事を支える介釈人(かいしゃくにん)の手で、 一時閉ざされていた石段への扉が開かれ、上り子たちは先を争って 麓を目指し、火の下り竜になるのです。
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お燈まつり9

三社参りの一カ所に数えられる妙心寺。神倉へ上る太鼓橋に程近い 場所にあり、高倉下命(たかくらじのみこと)を祭神とする神倉神 社は、この寺を本願とした神仏習合の神社だったのです。ふだんは 訪れる人もほとんどなく、住職もいない寺ですが、お燈まつり日だ けは昔のにぎわいを取り戻すのです。
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お燈まつり10


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