熊野本宮大社は、崇神天皇65年(3世紀前半)に社殿が創建さ れたと伝えられ、家都御子神(けつみこのかみ=スサノオ)を主祭神 としています。
しかし、苔むした礎石や石垣が残っており、春は桜、秋は 紅葉が美しく、いまなお神聖感をたたえています。4月15日の例 大祭には、500メートル離れた現大社から大斎原まで、古式ゆか しく行列が渡御します。
主神は、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)すなわち伊弉冉尊(いざ なみのみこと)で、上皇方の熊野詣には熊野牛王宝印に宝珠の神印を受けたといわれます。この熊野詣の先達を勤めた三山検校の支配下に熊野修験の人々がおり、那智の滝を最終道場として多くの修験者が修行に励んでいました。明治時代の廃止・神仏判然令によって神社一辺となり、多くの伝統行事が失われましたが、その精神は根強く残り、今に至って います。
神仏習合の時代、この 大社の本地仏は薬師如来でしたから、「癒し」の神社でもあったわ けです。
境内には多数の国宝を有する神宝館や佐藤春夫記念館もあ ります。
また烏帽子岩にてその田村麻呂が出会った天女は、この大
馬神社の神の使いだったとも言われております。ニシキトベといい、
この多我丸といい、古来より熊野は、戦いに負け逆賊とされたもの
達をも包みこみ、地元で末長く祭り続けて来たようです。
熊野古道が田辺より海沿いの大辺路と山中を行く中辺路に
分かれ、再び交差する所が浜の宮です。此処より那智山までを那智
谷と言い、一月に那智山の麓、市野々より始まる各氏神の例大祭は、
渚の宮から各浦浦に続いて行きます。それぞれの氏神では祭りの後、
大的を射るお弓神事、獅子舞が奉納されます。この神事に参加でき
るのは、那智川や那智湾で前夜水垢離をした若者だけです。この渚
の宮でも、寒中の那智湾で塩垢離した若者がその年の平安・五穀豊
穣を祈って奉仕するのです。
正式な名称は「霜月祭り」で、その名の通り11月23日が例
祭日となっています。毎年10月15日が来ると仕込みを始めることに
なっています。もろみを漉しとらない白く濁った独特のお酒である
このどぶろくは、"モストリ、ハツゾエ、ナカゾエ、トドメ"と呼ば
れる工程を経て、11月22日の早朝、水垢離(みずごり)をとって心身
を清めた"当人"によって準備されます。
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