癒しの体験
<熊野古道を歩く>中辺路 (NO.1)
癒しの体験 ー 熊野古道を歩く (No.2)
癒しの体験 ー 熊野古道を歩く (No.3)
癒しの体験 ー 熊野古道を歩く (No.4)
- 胎内くぐり
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「癒し」から「再生」への疑似体験が胎内くぐりです。滝尻王子の
裏手にある巨岩には、熊野詣途中に産気づいた藤原秀衡の妻が出産
した赤子をこの岩穴に託したという伝説があり、夫妻が無事戻るま
で赤子は岩屋の中で、狐狼によってすくすくと育てられていたとい
われています。岩屋の中へ差し込む日の光は、胎内から新生へと誘
う生命の光でもあるのです。
- 滝尻王子
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熊野古道九十九王子のなかで、もっとも重要で格式の高かった五
体王子のひとつがこの滝尻王子です。京から熊野を目指して歩いて
きた人々にとって、ここが熊野の入り口、ここからが神々の土地だ
ったのです。 王子のそばを流れる岩田川では「禊ぎ(みそぎ)」
を行うのが常であり、ひんぱんに熊野を訪れた後鳥羽上皇はこの王
子で和歌の会を催しました。その和歌をしたためた紙が「熊野懐紙
(くまのかいし)」です。
- 高原熊野神社
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滝尻王子から不寝(ねず)王子を経て古道は高原の宿へと入りま
す。高原熊野神社は地区の氏神であり、1403年に熊野大社から
若王子を勧請したことから熊野神社の名があります。 春日造りの
社殿は古道中最古の建造物として、和歌山県の文化財に指定されて
います。 古道はここから中辺路中もっとも高い悪四郎山を通って
近露へと向かいますが、道沿いには志を遂げずに行き倒れた巡礼の
墓があちこちに見られます。
- 牛馬童子
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近露の手前「箸折峠」にある高さ50センチほどの石像が牛馬童
子。牛と馬にまたがった珍しい姿は、花山法皇の旅姿をあらわして
いるといわれています。
- 一方杉
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近露王子から比曽原王子を通り継桜王子
につくと、一方向だけへ枝を大きく伸ばした杉の巨木が見えてきま
す。「野中の一方杉」。樹齢千年のこの杉が指し示す方向に熊野詣
の最終地点・那智山があるのです。
- 湯川王子
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九十九王子のなかで五体王子に次ぐ格式を誇った准五体王子のひ
とつ。中辺路一番の難所といわれた岩神峠を下った場所にあるため、
平安人たちはこの王子で一息つき、近くの谷で禊ぎを行いました。
湯川王子を過ぎると、中辺路最後の峠「三越峠」があり、そこか
らはゆるやかな下り。いよいよ最初の目的地である熊野本宮大社の
神域へと足を踏み入れていくのです。
- 発心門王子
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「発心する」とは、善堤心を奮い起こすこと。すなわち仏の道に入
り、仏智を証する志を起こすことです。聖地に参る途中、参上に至
る間に、発心・修行・当覚・妙覚の4つの門をくぐって悟りを開く
という修行は山岳信仰に見られます。熊野には4つの門のうち、発
心門だけがここにありました。険しい道程を越え、「発心門」の鳥
居をくぐった刹那の古人の胸中はどんなものだったのでしょう。
- 伏拝古道
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伏拝王子付近の苔むした石畳の古道です。現在は、晴れた日には木
漏れ日を浴びながら森林浴を楽しむ、ハイキングコースとして知ら
れていますが、その昔は多くの参拝者が、長かった道程を感慨をも
って振り返り、まもなく迎えようとする熊野本宮大社参詣の瞬間に、
心ときめかせながら最後の力を振り絞って歩いた道なのです。
- 伏拝王子
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平安時代の女流歌人・和泉式部がこの伏拝王子まで来たとき、にわ
かに月の障りが訪れ、「晴れやらぬ 身の浮雲の たなびきて 月
のさわりと なるぞ悲しき」と嘆き詠んだその夜の夢枕に、熊野権
現が現れ「もろともに 塵にまじわる 神なれば 月の障りの 何
か苦しき」とお告げがあり、式部は、浄不浄を問わず受け入れてく
れる広大無辺な熊野の神に感謝しながら、無事参詣に赴いたという
ことです。