癒しの体験 - <熊野古道を歩く>大雲取ー小雲取 (NO.2)


癒しの体験 ー 熊野古道を歩く(NO.1)
癒しの体験 ー 熊野古道を歩く(NO.3)
癒しの体験 ー 熊野古道を歩く(NO.4)


小雲古道と新茶屋

小雲古道と小雲取越え

熊野川町小口から、桜茶屋跡までは「堂の坂」と呼ばれ、熊野街道 指折りの景観を誇ります。峠の杉林の中に石垣が残るだけの桜茶屋 跡の前には、昔は絵に描いたような見事な桜の大木があり、明治末 期まで茶屋が営まれていたということです。今も、ちょっと一服し たくなるような絶好の空間と見晴らしが保たれています。





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新茶屋

山間のはるか彼方に小口の集落を見おろすことができる桜茶屋の近 くに、平成6年に新しく「茶屋」が再建されました。小雲取越えの 所要時間、約4時間半のほぼ中間地点のオアシスとして、これ以上 ないようなのどかさの中、風の音、鳥の声、日差しのぬくもりを楽 しみながら、ゆっくり、ゆったりとしたリッチな一時を過ごせます。
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百聞ぐら

澄み切った青空の下、小雲取り越えを代表するダイナミックな眺望 は「百聞ぐら」から見た熊野の山々です。大きく目を見開き、はる か稜線の彼方に思いを馳せ、深々と息を吸い込むと、神々の息吹と 呼応して身体中に脈打つような充実感が沸いてくるでしょう。そし て、腹の底から息を吐き切ったその瞬間、身体中の邪気を、神々が そよ風とともに持ち去っていってくれるでしょう。
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小雲取と桜茶屋

小雲取・桜茶屋付近の石だたみの道をゆっくり進みます。修験の道 は神仏の宿る道であり、昔は「なびき八丁」と言われ、その道の両 側八丁(約1800メートル)は、伐採すら禁じられていました。 美しい石畳、石仏、厳然と残る自然の林、そして静寂・・・。昔な がらの姿そのままの古道を、一歩一歩祈りを込めて歩いてこそ、 「熊野」の神髄に近づくことができるのです。
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石畳の古道

小雲取の随所では、多くの石畳の道を目にすることが出来ます。 組み上げた多くの先人の労苦が、一歩一歩踏みしめるごとに足元か ら伝わって来るかのようです。
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賽の河原

鬱蒼と茂る樹木は、太陽光線を遮っています。参詣の人々の思いを 込め、累々と積み重ねられた多くの小石は幾年月もの苔をまとい、 まさに妖気漂う・・・ここは「賽の河原」。


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大雲楠久保

熊野古道最大の難所、大雲取越えの越前峠を、小口の集落に向う所 に楠久保茶屋の跡に着きます。杉木立の中、木漏れ日の中に揺れる 平地が、茶屋跡を偲ばせてくれます。 小口の集落より、熊野古道最大の難所大雲取越えにさしかかるとこ ろ、眼前に聳える越前峠の手前の杉木立の中に残された熊野古道、 道行く人もないこの古道の傍らに、久保楠茶屋跡があります。僅か に残された礎が、昔を物語ります。人の往来の賑やかな頃は、あの 手この手で旅人を引き留めたと言います。

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大雲取地蔵

大雲取を那智山より行けば、舟見峠を越えて越前峠に至る道筋を辿 れば、地蔵堂があらわれます。狭い御堂の中に三十三体の地蔵が、 往時の賑わいを忘れ立ち並んでいるのです。 那智山から大雲取を小口の集落に向かう途中、舟見峠を下った所に、 一宇の御堂が建っています。三十三体の地蔵を安置した地蔵堂は、 幾たびか立て替えられていますが、宝永四年(1707)寄進の地 蔵は、古道を行き交う人々の祈りを、見守ってきたのです。今は道 行く人もなく、静かに並んでいます。
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地蔵茶屋

那智山から大雲取の熊野古道を二時間あまり、舟見峠を下りたとこ ろに地蔵堂が建ち、その傍らに茶屋跡があります。心地よい汗を、 この所で拭い憩ったのです。 熊野古道・大雲取には、熊野詣の盛んな時に、途中幾つかの茶店が 立っていました。中でも多くの参詣者で賑わったのは、那智から登 れば、二時間あまりの所にある地蔵茶屋でした。熊野灘を航行する 船の帆が見えたという舟見峠を下りたところの、この地蔵茶屋は、 今では行き交う人もなく、静かな佇まいを見せています。
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大門坂

熊野古道で往時そのままに残されている所は、限られていますが、その内の一つに、 那智勝浦町那智山の麓より、熊野那智大社・那智山青岸渡寺への参道である 「大門坂」があります。 石積み石畳の六丁(約700メートル)の坂道大門坂を五丁目あたりまで 登ってくると、杉並木の間より那智の瀧をはじめて目にすることが出来きます。 この所に、昔十一文の通行料とったと言う十一文関跡があります。 この所を過ぎて、坂を上りきった広場に大きな仁王門があったので、 ここを大門坂といいます。


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多富気王子

京の都より熊野詣をした人々が、途中の熊野九十九王子を拝みながら中辺路を通って 熊野に参り、熊野本宮大社・熊野速玉大社に参拝して那智山に来ると、 麓に最後の王子・多富気王子があります。 多富気王子(たふけおうじ)は、熊野九十九王子の最後の王子としてまつられ、 京の都から・伊勢の国から遠く険しい熊野道をようやく辿り着いた 熊野権現・那智山の麓を、神域と俗世とを分けたという振り加瀬橋を渡り、 夫婦杉をくぐり、大門坂を一丁程登った右手、木漏れ日の中に その王子跡があります。石碑ののった石積みが往時を偲ばせます。
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あげいん熊野詣

蟻の熊野詣と言われたほど、盛んに行われた中世の熊野詣の賑わいを、今再びと願って、那智勝浦町の観光協会が開催している、時代行列。

昭和59年、町おこしの為、那智勝浦町観光協会の青年部が中心になって始めたのが、あげいん熊野詣です。熊野詣は、平安時代の後期に行った、花山上皇の熊野詣以来、白河上皇・鳥羽上皇の上皇方から女院・貴族さらに武士・庶民へと盛んになりましたが、江戸時代・明治時代と時代が下るにつれて、衰退していきました。この熊野詣を再び現代に甦らそうとして、「古代の息吹甦れ」と始めたのです。そして熊野古道「大門坂」を時代衣装を付けて歩くのです。

あげいん熊野詣では、後白河上皇の熊野御幸の再現をした時代行列です。さらに後鳥羽上皇・修明門院・藤原定家等に扮した人々が時代衣装を付けて、6丁の大門坂を登り、熊野那智大社・青岸渡寺に参拝する様子を現します。従僕にかつがれた輿に、後白河上皇が乗り、前後を警護の北面の武士が歩き、その後を女院・侍女、また各上皇・公卿が続くのです。数百年の杉木立の中を行く苔むした石畳の道、十一文関跡より望む那智の大瀧は、熊野古道で初めて那智の瀧が見えるところです。


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